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日本医師会災害医療チーム(JMAT)派遣の総括

総括

派遣に使用した車

派遣に使用した車

 5月14日に小県医師会のJMATの医師団が帰還し、今回の東北大震災への派遣に一区切りがつくことになりました。当院だけでのべ5名の医師と、9名の看護師、薬剤師などが支援に参加し、当院が用意した車の走行距離は約1万Kmでした。これをどう評価するのかは難しい事ですが、「初めてにしてはよくできた」といえるかもしれません。

今後は、

 1) 当院における災害への備えをもう一度見直す事

 2) もしまた災害が起きた時はもっといい支援ができるように今から準備しておく事

 3) この経験を行けなかった職員に伝える事

が大切と思われます。

 

 今回の経験で、私が一番感じたことに触れたいと思います。それは「情報」です。

 最初に被災地支援に行った院長先生や被災者として生活されていた大槌病院の黒田先生が口にされたのは「情報がない」ということでした。黒田先生は当初大槌高校で被災生活をしながら医療をされていたのですが、物資がほとんどこなかったそうです。そして、支援をしたくてもどこがどうなっているのか?誰がどうなっているのか?まったくわからなかったそうです。情報を伝えたり、受ける手段が欠如していたようでした。

被災した県立大槌病院

被災した県立大槌病院

 2~3週間すぎる頃には「情報の混乱」が始まりました。テレビ、携帯電話などで状況が伝わるようになった一方で、誤った情報が錯綜し、その対処に追われ、余分な仕事が増え、疲弊し、肝心な支援が進まない状態でした。しかし、そんな中でも大槌高校診療所ではAMDAの指導のもと、早期にお薬手帳を配布し、情報を整理したことはすばらしいことでした。 患者さんにとっても、長期の避難生活していくなかで安心につながる存在だと思われます。(もっとも 薬をなくし、薬の名前もわからない状態から、それをなんとか回復して、お薬手帳を作る事は薬剤師には大変な負担でした)

 私が訪れた1ヶ月後には、だいぶ落ち着いていましたが、細かい情報が伝わらない、伝えにくい状態になっていました。例えば、我々のメンバー表(人数、職種、男女など)は現場には伝わっていませんでした。(どこで止まっているのか、現場で仕事を割り振りしているAMDAの高岡先生には届いていませんでした。おそらく、大槌町の災害対策本部あたりでファイルだけされているのかもしれませんね)こういったものが現場に届いていれば、よりよい支援を構築できるはずなのに、支援の空回りが起きてしまっていると思われました。支援物資は沢山あるのに、本当に欲しいものはないという事態を目にしました。しかし、それを訴えることにはまだ躊躇している時期だったかもしれません。いかに細かな情報まで管理できるのかが大切だと思われました。実際には避難所にいる総ての方の名簿や年齢などの情報すらない訳で、そういう細かい作業はやはり行政が行う必要があるのかもしれません。

 日頃カルテという情報源に頼って仕事をしていると、患者さんにとって本当に必要な情報がなんであったのか、本来の医療とはなんであったのかと、改めて考えさせられました。

 

避難所の診察室にて

避難所の診察室にて

 今後は大槌高校避難所は青森チームが支え、大槌町の診療所や開業の先生がこれからの大槌町の医療を立て直していくことになります。もちろん、長い年月がかかることになると予想され、色んな形での支援が必要であり、我々も様々な形でこの町を支援していきたいと考えています。そしていつか、黒田先生にその復活の体験談をこの地でしてもらえる日を期待したいものです。(別所線に乗るのを楽しみにしているみたいですからね)

 

 最後はいつも「東北頑張れ」で終わる訳ですが、あえて今回の体験をさせてもらったことへのお礼の言葉「ありがとう」で終わりとします。

 

松澤 賢治